私たちの研究室では“エピジェネティクス”という現象の研究をおこなっております。エピジェネティクスとは遺伝情報が同じでも生物の表現型が同じにならない原因です。例えば一卵性双生児やクローン動物がかならずしも同じではなかったり、我々の体が若いときと年をとったときで異なるのもエピジェネティクスが原因だといわれています。エピジェネティクスの実体はDNAのメチル化などのゲノムの印付けであり“エピゲノム”といいますが、これが遺伝子のスイッチとなってオン、オフすることにより同じ遺伝子を持っていても異なる結果をもたらしています。エピジェネティクスはポストゲノム時代における重要な研究テーマであり、この研究によりこれまでのゲノム研究で明らかにはできなかった生命現象や疾患の原因が明らかになると言われています。私たちの研究室ではエピジェネティクスの視点で様々な生命現象、癌、生活習慣病、再生医療といった疾患の研究に取り組んでおります。
癌ではDNAメチル化による癌抑制遺伝子の不活性化など、エピゲノムの変化が重要な働きをすることが数々の研究から明らかになってきています。さらに最近では、肥満や糖尿病といった生活習慣病にもエピゲノムの変化が関与するらしいといわれています。エピゲノムの変化は個体発生や分化、再生といったような様々な現象において通常プログラムされておこりますが、環境が影響して変化してしまうことがあります。そこで生活習慣病は食生活などの環境の変化によりエピゲノムが変わることによって起こる、エピゲノム疾患であると私たちは考えています。
このことからゲノム全体にわたってDNAメチル化を調べること(エピゲノム解析)の重要性が認識されるようになってきています。このような方法として私たちはRestriction Landmark Genomic Scanning (RLGS)法(Hatata et al. 1991)、Microarray-based Integrated Analysis of Methylation by Isoschizomers (MIAMI)法(Hatada et al. 2006)、MBD1-Seq法などを開発し、これらの方法を用いて肥満や糖尿病のエピゲノム解析をおこない、その原因を明らかにしようとしています。
生活習慣病の発症、中でも肥満においてエピゲノムは重要な働きをしていると考えられています。私たちはMIAMI法を用いて脂肪細胞の分化において網羅的なメチル化解析をおこなうことにより、WGEF(ARHGEF19)がメチル化による制御を通して脂肪分化を制御していることを見いだしました(Horii et al. 2009)。WGEFは脂肪分化がはじまると脱メチル化されますが、通常とは異なり発現が不活性化します。これはメチル化依存的な活性化因子が存在するためと考えています。WGEFはRhoGEF(Rhoグアニンヌクレオチド交換因子)であり、発現が減少するとRhoが不活性化し最終的に脂肪の分化が起こります。逆にWGEFを強制発現すると脂肪の分化は抑制されます(Horii et al. 2009)。この遺伝子の発現制御は肥満において重要な働きをしており肥満と正常のマウスにおいて発現の差がみられることを見いだしました。
最近、CRISPR/Casという効率がよく簡便なゲノム編集システムが開発されました。このシステムではガイドRNAというゲノム中の標的と相補的な短いRNAとCas9というDNA切断酵素の複合体が標的を切断することにより高効率にノックアウト細胞を作製することができます。このシステムを用いてエピジェネティクス関連遺伝子が関与する疾患モデルを作製し、研究をおこなっています。方法には2通りあり、その1つはCRISPR/Casゲノム編集で疾患モデル動物を作製する方法です(Horii et al. 2014)。またヒト細胞における表現型を調べたいときはiPS細胞の遺伝子を改変することにより疾患モデルiPS細胞を作製して研究に用いています(Horii et al. 2013)。このようにして作製した疾患モデルiPS細胞は患者から作製したものと異なり、作製の元になった正常人由来のiPS細胞をコントロールとして研究にもちいれば遺伝的背景の違いによる表現型の違いがないので非常に有用です。
ES細胞は再生医療への応用に期待が持たれていますが、ヒトES細胞を樹立しようとすると将来個体になり得る受精卵を破壊することから倫理面に問題があります。また近年報告されたiPS細胞は倫理問題をクリアできるものの、樹立にはレトロウイルスベクターなどによる外来遺伝子の強制発現が必要なことから安全面での実証が必要とされています。一方,“単為発生胚由来ES(PqES細胞)”はいずれの問題もクリアできます。すなわち、材料となる未受精卵はもともと個体発生できないので、倫理的に問題がありませんし、遺伝子導入もないので安全です。さらに通常廃棄される体外受精に失敗した未受精卵などを利用することも可能です。
しかしながら単為発生胚は正常に発生、分化せず胎生致死になります。これはインプリンティングといって母親由来あるいは父親由来のゲノムに特異的なDNAメチル化が存在するため、両方のゲノムが正常な発生、分化に必要だからです。このことから単為発生胚由来ES細胞は正常に分化できずに再生医療に利用することはできないと考えられていました。しかしながら私たちは世間の常識に反して、単為発生胚をES細胞にすることにより、インプリンティングがリプログラムされ、様々な細胞に分化できるようになることをみいだした(Horii et al. 2008)。また最近、私たちは単為発生胚由来ES細胞が通常のES細胞と比較して腫瘍を形成しにくいことをみいだし、再生医療への応用(Horii & Hatada 2011)をめざして研究をおこなっています。